そろそろ迫ってきた。

台風ではなくて(笑)。

その前に、明日は何の日でしょう。もちろん原爆記念日その2でもあるのだが、先日のムーミンの作者トーベ・ヤンソンの誕生日だそうだ。

そして迫ってきたのは第二次大戦へのカウントダウン。そろそろ秒読みだろう。
それぞれがそれぞれ好き勝手にファシズムを追求していた日・独・伊がスペイン内戦をきっかけに同盟を結んだ。これが1937年。その年の七夕に日本は先に中国に攻め込んでいるが、ヨーロッパでは、内戦中のスペインは別として、まだ戦争の気配はなかった。

ここでドイツが動き出す。もともとナチスドイツは「ヴェルサイユ条約なんか知るかボケ!! 取られた領土は全部取り返す!! ドイツ人が一人でも住んでいるところはドイツ!!」と、大雑把に言えばこういう思想で突っ走っているわけで、国内の経済も盛り返したし(ここだけはよかったんだよな)、再軍備宣言もしたし、新兵器の試し撃ちもスペインでやってみたし、あとは上の悲願を一言一句実行していくだけ、というところまで来た。そこでまず最初に併合しようと思ったのはオーストリアである。

さて、ここで遥か昔の記憶の地層を掘り起こしてみよう。もともとドイツという国自体、19世紀後半にできたばっかの、この時点で建国百年も経ってない国である(という国が第一次世界大戦で大活躍したというのも考えれば恐ろしいことだ(笑))。まあドイツ人という民族は昔からいたのだろうが、ヨーロッパみたいな地続きのところで、イギリスみたいな島国でもなければ最初から「ここからここまではドイツだ!!」という明確な国境なぞあるはずがない。それが19世紀にナショナリズムの目覚めと共に統一しちゃったというわけだが、そこで問題になったのがオーストリアだった。繰り返しになるがもう一度言っておくと、現在のドイツという国の中心になったのは「プロイセン」という、ちょっと前までは人も通わぬど田舎ど辺境(エスプリなフランス人から見れば)な小国だった。しかし民族的にはオーストリアもドイツ人である。まあオーストリアという国も、ドイツ語では「エスターライヒ」=東の国という意味で、もともとは西ヨーロッパの一番東にマジャール(騎馬民族)やらスラブやらに備えて設置した防波堤みたいなものだった。そこがいつの間にかハプスブルク家が勢力拡大してヨーロッパで一番の土地持ちになっていたわけだが(あ、海外植民地を入れると一番はイギリスか)、もともと西ヨーロッパ系=ゲルマン・ラテン系の最辺境の国だったもので、拡大していくにつれ周辺の異民族(一応ゲルマン民族の仲間なスラブ系と、全くゲルマン民族とは関係ないアジア系のマジャール=ハンガリー人)も飲み込んでいったわけで、当時のハプスブルク帝国は人口のほとんどを占めているのはドイツ人ではなかった。なので19世紀のドイツ統一の時には、そんなわけのわからない異民族を抱えているとことは混ぜたくない、と拒否されたわけだ

ところが、第一次大戦後のパリ講和会議で、ハプスブルクのオーストリアは抱えていた異民族の領土をほぼ全部取り上げられてチェコだのハンガリーだのユーゴスラヴィアだのといった新興国家にされたわけだ。ということは、ドイツとの統一の障害だった異民族がいなくなったわけだ。それでオーストリアの側も熱心にドイツとの統一を求めたのだが(何しろ毛を刈られたヒツジより小さくなってしまったから)、当時のパリ講和会議のビッグスリー(というかフランス)が、ドイツを大きくすることに反対、結局ドイツとオーストリアの合併は条約で禁止されることになった(このあたり、フランス人の怨念が(笑))。しかしナチスドイツは、そもそもそのパリ講和会議の取り決めをぶち壊すといってますからね。加えて、戦後の不況やら世界恐慌やらを経験したオーストリアの方も、この時は熱心にドイツとの統一を求めていた。それに元々ヒトラーはオーストリア人だからね。なので1938年、ドイツはオーストリアを併合。もちろんファシズムに危機感を抱いて反対した人たちもいたが、彼らは結局トラップ一家(サウンド・オブ・ミュージック)みたいに捕まる前に逃げ出すしかなかった。

この時他の国はどうしてたか? といえば、アメリカははなから知らんぷりだし、イギリス・フランスも、スペイン内戦のような暴挙でさえ不干渉を決め込んでいたからねえ。オーストリアの場合は、少なくともいくらかは歓迎というか同意のもとで併合しているわけだから、なおさら口を挟む問題ではないと思ったようだ。

あともう少しあるのだが、とりあえず今日はこのあたりで。

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