さて、お待たせしました(違)。

国内では雨が続き、国外では中東など局地的に銃弾と砲弾の雨が続き。あそこもすぐさま即時停戦させないとまずいと思うのだが。

その混迷の中東情勢は、第二次世界大戦が終わってからなので、ここではまだ出てこないが。少なくとも第二次大戦へのカウントダウンの時点では、レバノンもイスラエルも存在していない。というわけで早速先週の続き、行ってみようか。

1929年に世界恐慌が起こり、この結果もともとあちこちにひずみのあったヴェルサイユ体制の歪みが一気に噴出したというのか、いろんな意味で「持てる国」と「持たざる国」の格差が出てしまった。先週は「持てる国」=アメリカみたいに経済力がありかつ国内に開発の余地が残っているところとか、イギリス・フランスのように自国の負債を押し付けたりできる広大な植民地を持っているようなところが恐慌を乗り切っていった話をした。ではそういうものを持ってない「持たざる国」はどうしたか、というのが今日からの話。

先に答えを言ってしまえば、グレたんですよ。
というか、これは恐慌が起こる前からそういう状態になってた例があるから。記憶をさかのぼってください。大戦終了直後に金食い虫の戦争をやったことによる経済不安+もともと経済は弱い、弱すぎる国なので建て直しがきかない+植民地もないという国がひとつばかり、既に1920年代のパリ講和会議直後にグレていたことを。そうです、ムッソリーニのイタリアです(いろいろ問題があるので脳内映像はムッソリーニ本人でいこう。小太りのおじさんです。常に帽子をかぶっているが、頭髪が気になるのかも)。ファシスト党を率いてローマに進軍、政権を掌握したファシズム第一号です(ちなみに「ファシズム」という名前はもうおわかりだろうが、このムッソリーニのファシスト党から来ている)。このイタリアは1920年代に既に「経済立て直そうにも何しようにも、うちは経済も弱くて植民地もほとんどねえんだよ、畜生!! 何か寄越せ!!」という暴力行為に出ていたのだが、取ったところがパリ講和会議で揉めていた「未回収のイタリア」ことフィウメだけだったし、国際協調(表面上だけは)の20年代にはイタリアも単独で暴挙に出られなかったというか、まあ戦争弱い国だから単独で何かはできない国だからというか、とりあえずおとなしくしていたようだ。というか、イタリアがファシズムやってようが、そんなに影響はないように思える。そのままここだけがファシズムをやってるというだけなら、そのうち内部分裂で瓦解したように思う。なんたってイタリア人だから(笑)。ところが、これをお気楽極楽あまりやる気のないイタリア人の正反対の人々がやると、大変なことになる。

ちなみに「ファシズム」って何だ? といえば、端的に言えば右翼。経済が滅茶苦茶だったり国家全体が不安だったりするような時に、まあ「立てよイタリア人!!」みたいな国粋主義を唱えたり、その場合の国粋主義というのは自民族以外は食い物にしていいということだったり、経済不安から立ち直るための最短計画として「俺にもイギリス・フランスのような食い物にする植民地を寄越せ!!」ということだったり、そのために軍国主義化したり、そのためには反対する分子を潰したり、要するに全体主義化=国民全体を自分たちの言うことに従わせたり、ついでに右翼だから左翼=社会主義は大嫌いだったり、それを取り締まるために思想の統制も行なったり、というやつ。一般には「戦間期に現われた全体主義的な思想と行動」と定義できるか。

もちろんムッソリーニだってそういうことはやっていたが、何せイタリア人だから(笑)。もっと効率的に効果的にやったのは別のとこ。現在ファシズムの代名詞のようになっているところである。

基本的にイタリアがグレたのは、パリ講和会議に不満だったからというのも一因である。ところが同じように不満を持っている国は他にもある。実際20年代にクーデタ未遂が起こってた国があったでしょう。潰されたけど。その首謀者はめげずに刑務所の中で考えた。その考えを一冊の書物にした。まああんまりにも酔ってるような内容だったので、世界の人々はまさかこんなことが現実に起こるわけないと思っていたようだ。ところがその後、この男はそこに書いてあることをきっちり実行していく。その書物の名は、現在のドイツでは刑法で取り締まられているもの。『我が闘争』である。

というわけで、今日はこのあたりで。

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